マルタ・モンカーダ バイオグラフィー
絵画、銅版画、デッサン、彫刻を手がけるバルセロナ生まれのスペイン人女性芸術家。両親は共に画家であり美術の教師でもある。国立バルセロナ大学にて美術学士号を印刷技術専攻で取得。同大学卒業後、バルセロナ市内に銅版画およびシルクスクリーン印刷の工房「Binomi」の共同設立に参加。以降、数多くの銅版画、彫刻、絵画、デッサン、写真の国際芸術祭やコンテストへ精力的に参加。スペイン国内のみならず、ドイツ、スイス、アルゼンチン、日本において数多くの個展を重ね、作品の質を毎年着実に飛躍させている。特に過去十余年間の日本における個展、共催展、文化交流は、彼女の芸術家としての人生に多大なる影響を与えた。
彼女の絵画および独創的なグラフィック芸術への情熱は、自己のイメージや個性を表現する紙やカンバス上に様々な素材と表現技術の融合を探求する道へと自らを導いている。また「空間への無限のアプローチ」をテーマに、自身が体得した熟練技術と様々な表現素材を融合させた展示プロジェクトを積極的に企画催行している。
1999年にはドイツ、オーバーキルヒ市でのヨーロッパ美術展覧会(EKO)にスペイン代表として作品を出品する栄誉を得た。彼女の作品は個人だけでなく公共のコレクション作品として、彼女が携わった世界各地の美術館、芸術機関やアートギャラリーなどに永久所蔵されている。
2008年秋の訪日では、東京において宮内庁が主催する公式晩餐会に招かれ、天皇、皇后両陛下ならびにスペインのフアン・カルロス国王に謁見する栄誉を授かった。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
マルタ・モンカーダ 「造形と色彩のハーモニー」
繊細と静謐、均衡と調和、律動と音楽、これらはマルタ・モンカーダの作品を理解するときに気づかされる様々な特徴のうちのいくつかであろう。それら全ての要素は、造形・色彩・光を通じて、また水平に配置されたオブジェや垂直な線となって反響しつつ浮上し、やがて虚に保たれた空間が象徴する調和のマジックを生みだすべく、潜在している。
彼女の作品は日本の画家のそれと似た手法をもって水平な展開と理解とを可能にし、その大多数は垂直的な解釈を許容しながらも、決して散漫ではなく、一貫性を失うことはない。作品を構成するのは垂線や色彩が切断する風景、その断片の連続であるが、それは閉ざされた空間ではない。既存の空間を破壊している要素は、私たちに作品を理解するための糸口を示すガイドなのだ。色彩や形を変えてしまうたくさんの機会は、あたかも絡み合った偶然が織りなす突然変異であるかのようだ。
そこに表現された世界は一見切り離された断片のようである。しかしその断片はモザイクの一部にも似て、各部分が独自性を持ちながらも、全体を繋ぎあわせる一貫した精神を紡ぎだす。その精神こそが、紛れもない彼女独特の表現なのだ。
作品は説明的ではない。彼女の内からあふれ出る感銘と情熱は、計算された、あるいは偶然による彩られた抽象というかたちを得て具現化される。色彩の持つ強さ、造形の持つ確かな感覚は、そこに立ち現われた世界の根本に潜むもろさと好対照をなす。平面と立体は融合し、醸しだされた独特の感覚ともども作品を見る者の遠近感を危うくさせる。地の底に眠っていた岩石、無限の宇宙が湧き上がり、やがて彼女の軽快な筆致によって水と色彩の戯れと化し、表出され、現実となる。沈静と昇華が共生できる唯一の場所は、全く無理なく、ごく自然に達成されたものであるのだ。まるでその作品が彼女の内部で既に完成されていたかのように。
この自然さがあるからこそ、色彩はありとあらゆるものの表面を覆わんばかりの勢いを失わないに違いない。作品は確かな沈着を保ちながらも、ある種のエネルギーによって活性化され、枠をはみ出しより遠くへ拡張したがっているからだ。そして同時にたくさんのコントラストに満ちている。マルタ・モンカーダは私たちの意表をつきながら作品を見る者と一体となって、抽象とは可能性の世界であることを私たちに示し、一方では、解放され視覚化された内なるエネルギーの全てを見せてくれる。
マルタ・モンカーダは、暖色と強い色調で驚くほど様々な構成や濃淡のバリエーションを展開する。その色彩は、人間の本質に宿り、一人一人の人生を彩る光と影について熱心に説いて止まない。同時に私たちの人生は、作品のために示された全ての価値あるものによって高められてゆく。
人間として存在することは抽象の世界と無関係なのかもしれない。だが一方で、作品を見る者と作品自体との双方向的な関係ができるまでは、つまり両者が反響しあい、新たなる一個人と一個の作品として今一度再生されるまでは、抽象の世界が完成しないということも認めざるを得ないだろう。以上の全ての真実から、一つの舞台に立ち、まるで自ら生命を吹き込んだ新しい宇宙の中心であるかの如く作品に取り囲まれている彼女自身、アーティストとして、造化の神としての根本精神を伝えるに余りあるもの、色彩・幾何学模様・光にあふれたものたちの中心に鎮座しているマルタ・モンカーダの姿は容易に想像できるであろう。
マドリッドにて
フランシスコ ハビエル・カバジェーロ
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
Marta Montcada : painting works on hand made paper, 2006
マルタモンカーダ & コルドセバスティアン 二人展
MARTA MONTCADA - KOLDO SEBASTIÁN
「和紙」を中心にした作品展を10月19日から11月17日まで
バルセロナ、JOSE DE IBARRA ギャラリーにて開きます。
又、在バルセロナ日本国総領事館、鈴木一泉総領事をお迎えしてオープニングパーティー
を下記の要領で行ないますので、皆様方のご高覧をお待ちしています。私達、日本文化と
の繋がりを有している者にとって、特に鈴木一泉総領事のご厚意に感謝の意を表します。
コックテルオープニングパーティー 10月19日(木)20時より
GALERIA JOSE DE IBARRA
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
マルタ・モンカ-ダ: 青の宇宙
マルタ・モンカ-ダの絵は大空と大地の出会い、抽象と自然との出会いから生まれる。尽きることのない動きの瞬間を表現しながら、額縁の枠を超えて様々な要素の集中と広がりが調和しているその構成に内部秩序が生まれる。
彼女の作品は宇宙の始まりを探求する。何千もの違った方法で創造された要素は彼女の想像の中にしか存在しない形と色を与えられ、深く究められる。この探求の中で彼女は拡張を続ける宇宙の断片を我々に示す。その宇宙とはいくつかの要素が形と色を持ち、現実になる最初の瞬間が凝縮された宇宙である。
マルタ・モンカ-ダは構造を取り囲み、構成を調和させる雰囲気を捕らえ、全てがあるべき場所にあるという感覚を生み出す。このように、それぞれの断片が宇宙を形成し、独立性と個性を失うことなく調和と静けさの中に他の断片と共存している。
作品の中の自然の要素は、拡張する宇宙を目に見えるように物質化した繊細な世界の軽いスケッチである。マルタモンカ-ダはこの宇宙を様々な色で想像する。とりわけ、限りなく多様な色調で表された青が際立っている。彼女の青は、潜在的に不思議な夜の空間と海の深淵さを暗示し、そこからすべての物が出現する。このように青の色が現実の中に、様々な要素の起源の中に位置している。マルタ・モンカ-ダは創作することで、彼女の絵の中には存在しない空間から出現する様々な形の宇宙を我々に提示する。すなわち、どのように無から物質、形、色が生まれるかを示している。現実の本質を捕らえ、それを単純で自然な形で表現しているのだ。彼女の作品を出発点にすれば、拡張し続ける空間を理解し、想像するのは容易なことである。
マルタ・モンカ-ダは存在するものと我々よりも以前に存在したものを提示する。そして全てが我々を二つの目的で巻き込んでいることを教えてくれる。彼女は我々の目前に開ける不思議な世界の本質を探すことを誘いかけ、我々人間が宇宙の中である場所を占めているが、同時に不在である場所について問いかける。彼女の創作物は、見る者がそれを目の前にしてそれと一体化するまで完全ではない。その宇宙は同時に、普遍性と彼女の個性が刻印された内部宇宙の反映である。そこには全ての人間に共通したものと自伝的なものが一つに溶け合っている。マルタ・モンカ-ダの思想と感覚が人生の本質、すなわち彼女の魂の反映であるニュアンスに富んだ青に変化する。
それが幾何学のそれぞれの線と自然の中で探求され、発見されるのだ。
フランシスコ・ハビエル・カバジェロ教授マドリッドにて
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
Poesias de FRANCISCO JAVIER CABALLERO (Madrid)
Para “PINTURAS EN AZUL DE MARTA MONTCADA”
Traduccion al Japones de IKUYO AOSHIMA (Tokio)
I
白だったその紙は
純白に輝く
そっと筆が色どる、青の濃淡
それは夜空に渡る天の川
君の魂を物語る小道
II
君よ、僕の理にかなった魂
様々な青が語る
その優しさに思いをはせる
僕にそっとささやいておくれ
新しい言葉を
翼をおくれ
僕の思いがはばたくように
III
清閑な響きにひそっりとたたずむ
青に散りばめられた深い世界は
未知のことをささやく数々の色
近くてそして遥か彼方の世界
それらは君の魂から呼び起こされたもの
君はアーティスト
IV
広がりゆく宇宙にたたずむ静寂
限りない宇宙の光線
それらは君の心の形
夜の無限の空間を雄大に泳ぐ
人魚の青に包まれた
君の内なる世界の断片
V
君のしぐさに照らされた夜毎に
豊かな調べの海を見出す
それは韻を踏んだ詩に味わう独自の感動
希望に満ちた懐旧の念
青の空間に宇宙を生み出す心の語り
VI-a
青い色と神秘に染まった夜は
宇宙の起源の唯一の瞬間
万物を包み込む世界
生を理解するただ一つのすべは
君の考え、感情の真髄に迫ること
V-b
宇宙の起源の唯一の瞬間
広がりゆく宇宙の包囲
青と魔術に染まった夜
君の考え、感情の真髄にせまること
それは生を理解するただ一つのすべ
VII
青, 君の作品
君の瞳が見つめる水
君の魂を満たす空気
青、君の内なる豊かな世界
VIII
青に染まった君の手は
紙の白さを彩る
限りなく広がる君の宇宙に
豊かな心は
形となって生命が息吹く
IX
空気、水、大地
全てが私にささやく、青の中で
君の作品の一筆毎に滴る
神妙な色彩
宇宙の色よ
X
白い月、君を知らない月、
白青のしずくを落とす君の指
青に移り行く月
XI
広大な海の雫
青い絵の具の様々な色どりは
魂の深奥を渡り進む
精霊の宿る新しい世界を創造しつつ
それは君の生の唯一の証
XII
青い惑星、青い宇宙
青い魂、君の中では全てが青
君の見るもの、感じること、考えること
描くもの、それは青
XIII
深い海の青い雫
寒色の静かな調べは
様々な生の瞬間を
神秘的に彩る
XIV
理性と心は
生命の本質である
それらは青に染まる
君の魂から芽吹いた
一語一語の言葉に
一つ一つの表情に
XV
深い海の世界
それは純粋で魅力的な青
夜の空間
手の届かない蒼穹の青
それらの生命を見出せるのは
まさに君なのだ
POESIAS DE FRANCISCO JAVIER CABALLERO (Madrid)
TRADUCCION AL JAPONES DE IKUYO AOSHIMA (Tokio)
--------------------------------------------------------------------------------------------
マルタ・モンカーダ、 ‘‘地中海より” にて。
(1993年名古屋市、ギャラリー安里)。
横で彼女の作品に捺印しているのは、
マルタ・モンカーダの印鑑を製作した入江朋代女史。
マルタ・モンカーダの絵画の才能が彼女の版画作品の中で花ひらく。絵画のテクニックと銅版画とモノタイプの技法の通じ彼女が求めているのは表現性である。
1984年バルセロナ大学芸術学部版画専攻科を卒業、同年から1986年にかけて、銅板・シルクスクリーン工房 ‘‘BINOMI” を友人と共同設立、版画技法に関して数多くのセミナーを開催した。現在は同工房で個人製作に従事するかたわら、銅版画技術のアドバイザーとして数多くの作家の製作に協力している。
今までに多くの個展、あるいは合同展を開いている。また、日本、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジル、ノルウェー、ドイツ、オーストリア、スイス、ユーゴスラビアなどを旅行し幅広く国内外のアートフェア―に参加している。
また、1987年のカダケス国際ミニプリントコンクールや、同年および1990年のフェロール市マキシモ・ラモス版画コンクールの審査員をつとめた。
一方、画家でありまた美大の教授でもある父のジュアン・モンカーダとともにバルセロナ芸大の初めての試みであるオーディオビジュアル作品、「星―飛行と構造―」(1990)の製作にたずさわった。
歴史とは真実の小さな集まり、我々自身と数え切れないほどの経験の切れ端。科学と芸術は我々に歴史が何であるか、人生とは何か、我々が何者であるかを教えてくれるだろう。
マヌエル・ナランホ テイシド(歴史家)
翻訳 粕谷てる子
空間 油絵、グラフィック
かのクレーは「芸術とは目に見えるものを表現するのではなく、新しい世界を目に見えるように表現するものだ」と言った。マルタ・モンカーダの魅惑的な新しい世界を言い表すにこれほどぴったりな言葉はない。彼女の世界、それは正確な構成でていねいに造りあげられた繊細かつエネルギーあふれる空間である。そしてまた、心の琴線に直接触れてくる世界でもある。
カタルーニャの若き女流画家(とともに銅版画家でもある)マルタ・モンカーダは、若くたくましく上品で神秘的、かつタフで制作に疲れるということがない。既によく知られた存在でもある彼女が、このほど個展を開く。テーマは「空間」、作品のもつ暗示的なイメージからそう名付けられた。
個展には、油絵、銅版画のほかに、マルタ・モンカーダが特に好んで制作する紙を使ったモノタイプも展示される。紙のもつ繊細さ、透明さ、やわらかさが、ともに使われている自然の材料とあいまって、純粋な抽象の独特な生き生きとした世界を生み出している。
マルタ・モンカーダの作品を見ていると、岡倉天心の「茶の本」の中の言葉を思い出す。「美は魔術にちかい。もっとも繊細で秘められた心の中の糸が夢から目覚め、呼び掛けに応えてふるえ、揺れ動く。精神が精神に語りかけ、我々は言葉にならないものを感じ、目に見えないものを見つめる」
マルタ・モンカーダと和紙、二つの繊細さが出会い、互いに魅せられることに何の不思議があろう。和紙をつうじて日本の美とマルタ・モンカーダの世界が出会い、融合し、美の呼びかけの可能性の枠を広げて行く。われわれはここにそれをきっと見ることだろう。
ジョセップ マリア・ミロ ルイ (画家 彫刻家)
マジョルカ島、1994年1月
--------------------------------------------------------------------------------------------------------
翻訳 粕谷てる子
言葉にした瞬間に道は道でなくなり、
名をつけた瞬間に名は名でなくなる
老子
中国の有名な思想家、老子曰く、
「それはあまりにも深い真実なので、言葉にすることはできない。言葉にしようとはからった瞬間にもうその世界は消え去ってしまう」
不朽、不滅、永遠・・・を説く鍵がこの言葉の中にある。
人は2つの異なった世界で生きている。頭の中に浮かび捉えることのできる思考の世界と決して言葉にすることのできない無数の情感の世界。後者のことを思想家老子は語り、後者の中に美の伝道者たちが生きている。
芸術家は、感じることはできても言葉にはできない ‘‘美のエッセンス” で、その生活と作品を造りあげる。それは修道僧と全く同じである。そのエッセンスを得るために、神秘の世界に入り込むことを学ぶ。
本物の芸術作品は、道教でいう真理の道であり、空間と時間がおりなす永遠の火花である。その静かな無知覚の世界に我々の存在の意味を解き明かす叡智の詰まった図書館がある。だが、そこには文字はなく、ただ感覚という言葉、芸術や宗教が持つ言葉しかない。
芸術作品に我々が感動するのは、その作品が我々のこの中に持っている図書館を開き我々に叡智を指し示すからであって、作品が直接感動をもたらすのではない。この叡智は、それぞれが自分の体験として感じたときにのみ会得したといえる。ちょうど時間と空間が組み合わされるように、作品の中に、論理と非論理、存在と非存在、存在と超越がコンビネーションされ、えもいわれぬフレームを造りあげる。マルタ・モンカーダ、この美の世界の修行僧は、この神秘な世界に入り、その卓越した技術(芸術性を表現するためにぜひとも必要な要素である)を駆使して色彩とフォームを見事に組み合わせ、そして我々にかの静寂の世界、単に言葉にしようと考えただけであの永遠かつ唯一の瞬間が消え去ってしまう ‘‘精髄” の世界の扉を開いてくれるのだ。
私が初めて、マルタ・モンカーダの作品に接したのは彼女の工房であった。その美しい女性、魅力的で深く繊細な知性を備えた人が、予期しない魔力でこの一瞬を永遠のときに変えてしまうのを知ったとき、私ははぐらかされたような気がした。いやもしかしたら予期していたのかもしれない。手すきの紙を用いた彼女の作品を見たとき、まず歓喜の状が、そしてそれは徐々に宗教的な静かな感情へと変化していった。忘れることのできない深い喜びの8時間であった。
彼女の作品についてはここで語るまい。自分の目で見出す方がずっと大きな喜びであろうから。ただ、彼女の作品をどうやってみるかだけここに記しておこう。作品を前に考え込まねばならないとしたら、それは芸術ではない。ただ単に感じるだけの作品だとしたら、それらは永遠の作品とは呼べない。静かな気持ちで作品を心の中に入りこませ、我々の魂を熟成させることができるなら、我々は限られた人間にのみ許される崇高な時を経験できるだろう。しかし、それには条件がある。芸術には程遠い虚栄の心を捨てることだ。この魅惑の作品を前にしたら心を落着かせ深呼吸をしよう。作品が我々の中にしのびこみ、我々自身となり、叡智を示してくれるだろう。もし思わず深いため息をついたなら、それは、眠っていた魂が目覚め、作品と溶け合った確かなしるしである。その時から、人生は別なものとなるだろう。
カルロス・バヨッド セラフィニ(画家 彫刻家)
バルセロナ、1994年 1月
----------------------------------------------------------------------------------------------------
ジローナ花の時 2004
(2004年5月8日から16日)
テーマ : 朝鮮アザミ
タイトル: 朝鮮アザミ 親方とおはしゃぎ娘達
製作者: マルタ モンカーダ、ペップ フォルティア、木藤あずさ
今回 花の時のデコレーションを実践した AVINAY邸は、ジローナの町の
ユダヤ人街の中心部にあり、由緒ある歴史的な建物です。
パティオ 回廊 連結した空間 そして隣接した庭に、見学者にそれぞれの
テーマを示唆できるように表題を施し、“朝鮮アザミ”というテーマに則って施行した配置は、描写的で感覚的、そして発展的な循環や過程といった連続的な流れを作りだしました。
朝鮮アザミは、蕾 花 茎 乾燥した花弁 また写真や美食 といった変形も
含めた様々な形で使用され、蕾同様 花や茎部分は保存が利くように、また美的な効果も期待しながら、オレンジ 鉄さび 白 黄 青 紫といった色調で、塗装されています。
計画を進めていく上で、石の持つ重厚さや入り口部分の配置、自然光に重きを置き、特に内部空間の部分では、光の陰翳や光の点在 壁のレリーフを最大限に引き出せるように、配置を工夫しました。
入り口: 朝鮮アザミの循環見学コースの入り口であり出口。
1: 内部空間(嗅覚 触感 調査 反映 発見)
この空間では、朝鮮アザミの香りや手触りを見学者自身で見いだせる
ように、乾燥した花弁を大きな金属の入れ物に満たして、直に触れ
れるようにしてみました。
鏡と茎付きの花の部分を空間中央の天井からぶら下げ、この花々が色
の点となって見学者への歓待を表し、鏡はあまり一般的に知られて
いない、朝鮮アザミの本来の姿を発見出来る仕掛けにしました。
またライティングは劇場で扱われる光と影の効果を応用しています。
2: 回廊と橋(視覚 発見)
天井部分から下げられた朝鮮アザミの花や茎と、錆のような色合いの
長方形の鉄のフレームとの組み合わせは、三次元的な効果を感じさせ
ます。
3: 外庭に面した回廊(対称 通過 継続 突抜 出現)
濃い緑と暖かみのある奥行きのある庭に面したこの回廊部分の格子に、
朝鮮アザミの蕾を括り付ける事により、庭と建物の橋渡し的効果を
狙ってみました。
4: 内部空間(試行 味覚)
美食:“朝鮮アザミ定食”
朝鮮アザミを基本に使った料理の見本を豪華なテーブルセッティング
に配置して、目で食べられる美味しさを表現しました。
5: 内部空間(想像 集中)
朝鮮アザミの中心部分と花を接写した写真を円形枠内に納め、八角形
の鉄の枠と調和させながら、モービル状に吊るしてバランスをとらせ
ました。
6: パティオと井戸(連続 進行 発見 驚き)
オレンジ 白 グレー 黄 青 紫色に塗られた朝鮮アザミを巨大な
滝のようにパティオの上段から敷石、そして井戸の入り口に至るまで
敷き詰め、この色の調和や配置が、超現実的雰囲気や集団的流れを
生み出すようにしました。
7: 入り口のアーチ(会話 理解 伝達)
朝鮮アザミに因んだ、カタルーニャ語の様々な言い回し、豊富な教訓を
書き出してみました。こうする事によって、朝鮮アザミがどんなに
この国の人々の生活に、密着した食べ物であるかがわかるはずです。
(マルタ モンカーダ)
---------------------------------------------------------------------------------------
“たまゆら”: 衝撃瞬間共鳴そして微妙に空間に残存する響き
マルタとあずさは、地球上の西と東に生み分けられ、異なる環境の中で育ったが、自然から受けるインスピレーションや、空間デコレーションの作成過程でのビジュアル感覚において、双子の姉妹の如き類似点をたえず見いだす。彼女達の生み出す作品は、無形の調和と振動を感じさせる宇宙の種子のようだ。
衝撃 瞬間 共鳴 そして微妙に空間に残存する響き
マルタとあずさは、地球上の西と東に生み分けられ、異なる環境の中で育ったが、自然から受けるインスピレーションや、空間デコレーションの作成過程でのビジュアル感覚において、双子の姉妹の如き類似点をたえず見いだす。彼女達の生み出す作品は、無形の調和と振動を感じさせる宇宙の種子のようだ。
-------------------------------------------------------------------------------------